07

Apr

福島第一原発を視察

◆福島第一原子力発電所構内を視察(備忘録)

 昨日、福島第一原発の現地視察をしました。

 私が所属する日立製作所労働組合の上部組織である電機連合神奈川地協が企画し、東京電力パワーグリッド株式会社神奈川総支社お客さまサービスグループのH課長のご協力を得て現地見学が実現しました。実施にあたり多大なるご尽力を頂いたことに心から感謝しています。


 福島第一原発は、東日本大震災による津波により、1〜4号機の非常用電源が津波の浸水により喪失し原子炉を冷却することができなくなり、核燃料は温度上昇を続けメルトダウンとなり燃料が溶け落ちデブリが原子炉格納容器の底に堆積し、今も高濃度の放射線を出し続けていることは事故から11年が経過しても変わっていないことはニュースなどの情報で見聞きしています。 
 原子炉の廃炉作業は着実に進められていますが、人類が実施したことのない燃料デブリの除去作業など、難題に立ち向かう4,000人/日を超える方々の姿を見ることができました。

 現地視察とは別に訪問した「東日本大震災・原子力災害伝承館」や「東京電力廃炉資料館」では、原発事故に至った大きな『反省と教訓』が示されていました。


 □東日本大震災・原子力災害伝承館

 https://www.fipo.or.jp/lore/




 □東京電力廃炉資料館

 https://www.tepco.co.jp/fukushima_hq/decommissioning_ac/


 


  ☆立ち入り禁止区域

 見学は、バスに乗って移動しました。

 主に、国道6号線(富岡町~大熊町~双葉町)を走り、車窓からは、3.11のまま時間が止まり、劣化していったお店が点在していました。ファッションセンターや紳士服店では色あせた洋服がそのまま展示されていたり、中華料理店にはツタが絡まり、工場や事務所では、資料や帳簿がそのまま埃をかぶっていました。

 避難指示が出され、そのまま避難をしたことが分かります。

 空間線量率が低下しつつありますので、帰還困難地区、住居制限地区、避難指示解除準備地区などの緩和も少しずつではありますが進んでいるようです。


 □避難指示区域の状況

 https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/list271-840.html


 


 ☆見学で受けた放射線量

 今回の視察は、肉眼で見ることができないと思っていた1〜4号機を間近で見学しました。

 もちろん、事故が起きた原子炉からは放射線が出ており、今回、私たちが受けた放射能量は、0.2mSvとの測定結果が携帯した測定器で分かりました。その量は、歯医者さんのレントゲン2回分だそうです。また、人は1年間で50mSv以下、5年間で100mSv以下、一般の人は1年間で1mSv以下と線量限度が法律で定められています。

職業として放射線を扱う仕事をしている方は、5年間で100mSv以下までとされていることからすると見学での被爆量は、非常に少ないことが良く分かります。

 見学当初は、防護服にヘルメット、専用の長靴を装備して見学するものだと思っていましたので、ベストのみの着用ということで驚いてしまいました。


 □放射能が健康に及ぼす影響

 https://www.kangenkon.org/houshasen/health02.html


 

 ☆ALPS水の放流に高いハードル

 見学の中には、昨年承認され話題となっているALPS処理水の海洋放出についても説明がされていました。ALPS処理水とは、多核種除去装置(通称:ALPS)などを使い、汚染水から放射性物質の大部分を取り除いたものです。但し、トリチウムだけは、世界でも取り除く技術が開発されておらず、トリチウムだけが残った処理水と言えます。

 海外の原子力施設でも、トリチウムが含まれた処理水は海洋放出されており、福島第一原発では、このALPS処理水のトリチウム濃度を下げるため十分な希釈をした上で放出するというになっているそうです。データ上では問題ない数値とは言うものの、近海で漁を営む漁業関係者の理解を得るのは、非常に難しいのではないかと思います。

 地道な見学活動や情報の開示、そして教育など着実な取組みで

 □トリチウムってなに?

 https://www.denkishimbun.com/tritium_qa/a2.html


 ☆宿泊したJ-Villageの当時は

 見学のスケジュールから当日の参加が叶わないため、前日hotel J-VILLAGEに宿泊しました。宿泊した日は、なでしこジャパンの候補トレーニングキャンプが実施されていました。

 この施設には多くのサッカーコートが整備されており、1997年に東京電力が原子力発電所の地域振興として建設し、福島県に寄付したもので、日本初のサッカー・ナショナルトレーニングセンターとしてオープンしました。

3.11が発生した東日本大震災と、それに伴う原発事故の影響により、福島第一原発から避難指示の距離20Kmより少しだけ外側にあったこともあり、対応拠点や避難所として活用され、サッカーコートは駐車場となったそうです。

 寄附した施設が、原発事故の対応拠点となるとは皮肉なことです。


 現在は、全て通常通りの営業をしています。レストランや大浴場など、設備は整っていますので、車で旅行をされる方は利用してみて下さい。


 □J-VILLAGE

 https://j-village.jp/